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網代開拓由来記

網代開拓由来記

歴史・文化

町指定文化財 典籍

浦和家を中心に網代地区の開拓の歴史をつづったものである。

由来記によると、浦和家の祖先が高知県幡多地方から魚神山に移住し、文化5年(1808)当主儀左衛門は同志20人を募り、網代の開拓にのりだしている。 しかし45歳で亡くなると、事業が頓挫し同志も離散、生活は困窮する。その後、儀左衛門の子萬蔵は成長して父の意思を継ぎ、漁業に着目し漁を開始する。技 術の向上により漁獲高も増え、これに伴い自然に人口も増加する。しかし天保4年(1833)2月15・16日の大火により、ほとんどの財産を失ったもの の、萬蔵の奔走により離散を阻止し、集落の回復のため山を切り開き、鳥獣の駆除に尽力し、遂に網代の開拓に成功する。弘化4年(1847)その功績により 姓を名のることを許可され、浦和盛次兵衛(後年平内と改名)と名のった。盛次兵衛は新しい敷網の存在をしり、研究に取り組む。後、子浦和盛三郎が家業を継 ぎ山野を開墾し集落を広げ、父が研究した漁法を改良し「金輪網」を開発、ますます漁業に勤しみ巨万の富を築く。

この「網代開拓由来」記は明治26年9月16日に書かれたものである。昭和7年には網代分教場網代補習校(青年学校)の教科書としても利用されており、歴代の網代区長により地区の重要書類として代々引き継がれてきたものである。

網代開拓由来記

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